音楽を聴いて「いい曲」と思うのはなぜでしょうか。
もしかしたら、人は生まれながらに「理想の音楽」を知っているのかもしれません。
「イデア」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。高校の倫理で習ったような…と思った人、さすがです。古代ギリシャの哲学者プラトンが、物事の「本来あるべき姿」という意味で使った言葉です。
氷の上にカーリングのストーンがあるとします。ストーンを押すと、押した方向に滑って進みますが、さらに力を加えなければそのうち止まってしまいます。しかし、もし氷の摩擦力がゼロで、氷が無限に広がっていれば、ストーンは速度と方向を保ったまま永久に進み続けるでしょう。そんな光景を実際に見ることは不可能なのに、私たちは、理論上こうなるに違いない、という「本来の姿」を想像することができます。「等速直線運動の法則」などという名前を知らなくても、みな直観的に納得しているはずです。
プラトンは、あらゆる物事に「本来の姿」があると考え、それを「イデア」と呼びました。人間はイデアを想像することはできますが、現実として見ることはできません。プラトンはこう考えました。イデアは、この世界とは別の「イデア界」に存在する。人間は、もともとイデア界に住んでいた。肉体はなく、「魂」でイデアを直接感じていた。しかし、魂が穢れたためこの世界に堕ちてきて、イデアの記憶を失い、肉体という不自由な鎧を着て生きることになった(プラトンいわく「肉体は魂の牢獄」)。この世界にあるものはすべてイデアの不完全なコピーであるが、イデアを思い出す手がかりとなる。人間は肉体を取り替えながらこの世界で何度も生まれ変わる(輪廻転生)が、イデアを正しく思い出すことによって、魂は肉体から自由になってイデア界に戻ることができる。
この世は仮の世界で、魂の本来の居場所は別にある、という考えは、もともとは「オルフェウス教」という小さな宗教団体の教えだったそうです。オルフェウス教は、肉体は死んでも魂は輪廻転生すると考え、肉体の欲を消し去ることによって魂が清められあの世(来世)に行ける、という、仏教にも通じる世界観を持っていました。
オルフェウス教の「教祖」とされたオルフェウスは、古代ギリシャの神話に登場する詩人です。音楽の才能に恵まれ、竪琴の名手と言われていました。亡くなった妻エウリュディケを追って冥界(黄泉の国)に行き、竪琴の音色で冥界の王をなだめて妻を連れ戻すことに成功したにもかかわらず、「地上に出るまでエウリュディケの姿を見てはならない」という約束を破ったために再び引き離されてしまった、という伝説は有名です。
神々の心を動かし、冥界の扉さえ開かせたオルフェウスの音楽は、まさに「この世のものとは思えない」ものであったと、人々は信じていたのでしょう。プラトンの言葉を借りれば「音楽のイデア」そのものです。
オルフェウスほどでなくても、私たちはある程度「音楽のイデア」を持っていて、いい曲を聴くと「いい曲だ」と反応します。でも、私たちがいい音楽を聴くことができるのは、「音楽のイデア」を現実の音にすることができる人がいるからです。頭の中でどんなに素晴らしい音楽を想像することができても、それを音として表現しないかぎり、ほかの人に伝えることはできません。「音楽のイデア」を音にするのは、人間の肉体です。
音楽をやる人はみな、自分の身体の不自由さに直面します。指が思うように動かない、緊張で声が出ない、身体がすぐに疲れてしまう…。頭の中にある「理想の音楽」を、思うように音にできないとき、ミュージシャンは技術の未熟さを痛感します。
未熟さを克服し、身体を思いどおりに動かせるようになると、頭で想像した音楽を、自分の意識を通さずに演奏できるようになります。身体が勝手に動いて、意識は「音楽そのもの」に集中できる、そんな感じです。「魂の音楽」なんていうとベタな形容になってしまいますが、魂が音楽と直接触れ合っているとしか言いようがない感覚。それは、ミュージシャンの側から聴く側にも伝わり、至福の体験をもたらします。音楽にかぎらず、ダンスやスポーツなどでも、そんな瞬間があるでしょう。
「イデア」や「魂」といった考え方は、今では荒唐無稽な空想にしか聞こえないかもしれません。でも、たとえば、子供の頃にある曲を聴いたのがきっかけでミュージシャンをこころざした、という人は多いと思います。その「ある曲」はその人にとっての「イデア」、理想や夢というべきものです。理想や夢を無心に追い求めていた幼い時の純粋さは「イデア界」に通じるものがあるのではないでしょうか。
大人になるにつれて、目の前にはさまざまな悩みや誘惑が表れ、純粋なイデアは見えにくくなってしまうかもしれません。しかし、理想に近づきたいと願う気持ちが消滅してしまうわけではありません。ミュージシャンであれば、理想の音楽を奏でるために楽器や歌がうまくなりたい、という気持ちです。その向上心さえ持ち続ければ、少しずつでも理想の音楽に近づいていくことができるでしょう。
頭の中のおぼろげなイデアを形にして、人に伝えること。それは、イデアが見えている本人にしかできない特権であり、義務でもあると思います。音楽、美術、小説、テレビ番組、料理、ダンス、スポーツなどはもちろん、技術開発、生産管理、営業、人事、財務経理、会社経営など、どんなことに携わる人にも、それぞれ理想があり、理想を形にするための方法があるはずです。
あなたには、理想や夢を実現したい、という意志がありますか。意志があるなら、それを形にして人に伝えるための技術を身につけてください。そうすれば、あなたの人生はきっと、あなたが心の中で思ったとおりのものになるでしょう。